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京都地方裁判所 平成元年(ワ)2572号 判決 1993年5月28日

原告

田中幸浩

右訴訟代理人弁護士

佐賀千惠美

被告

京都市

右代表者市長

田邊朋之

右訴訟代理人弁護士

南部孝男

主文

一  被告は原告に対し一六五四万三一八二円及びこれに対する平成元年一一月二三日から支払済みに至るまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告のその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用はこれを五分し、その三を原告の負担とし、その余を被告の負担とする。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  原告

1  被告は原告に対し三六五七万五九八六円及びこれに対する昭和五四年七月二四日から支払済みに至るまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3  仮執行宣言

二  被告

1  原告の請求を棄却する。

2  訴訟費用は原告の負担とする。

第二  当事者の主張

一  請求原因

1  被告は、京都市立洛南中学校を設置し、これを管理している。

原告は、昭和五四年七月二三日当時、同校の二年に在籍し、野球部に所属していた。

田淵義憲教諭及び藤井満教諭(以下、両名を藤井教諭らということがある。)は、その当時、同校の教員であり、野球部の指導、監督の担当者であった。

2  本件事故

原告は、昭和五四年七月二三日午前一〇時五分ころ、京都市南区西九条大国町一番地所在の洛南中学校運動場において、野球部のクラブ活動として紅白戦の審判(主審)をしていたが、同部員小原裕史が打者として打ったファールチップのボールがマスク等の防護器具をつけていなかった原告の左眼に当たり、その結果、左前房出血の傷害を負った。

3  藤井教諭らの過失

藤井教諭らは、野球部の指導、監督の担当者として、

(一) 平素から、部員がキャッチャーや審判をするときには、いつでもすぐに着用できるよう、必要数以上の十分な数のマスクを準備しておくべき注意義務

(二) 平素から、部員に対し、審判をする場合には、マスク等の防護器具を着用しなければならない旨指示するなどして指導すべき注意義務

(三) 本件当日、三年生の対外試合に同行するため、二年生らの練習に付き添うことができなかったから、それまでほとんど経験したことのない試合形式の練習をさせるべきではなく、もし、させるなら、審判のマスク着用やその他の安全指導を十分行うべき注意義務

があったのに、これらを怠った。

4  被告の責任

(一) 国家賠償法一条

藤井教諭らは、被告の教育事務に従事する公務員であり、その職務を行うにつき、前記の過失があった。

(二) 債務不履行

原告は、洛南中学校に入学する際、被告と学校教育を受けることを目的とする在学契約を締結した。被告は、原告を教育する義務を負うとともに、その付随的義務として、クラブ活動を含む学校教育において、原告の生命や健康等に危険が生じないようにする義務がある。被告の履行補助者である藤井教諭らが右義務を尽くさなかったことにより、原告が前記傷害を負った。

5  損害

原告は、本件事故の結果、左前房出血の傷害を負い、そのため、左眼続発性緑内障になり、昭和六一年八月四日ころには、左眼の視力が0.05に低下した。また、左眼の著しい視力低下により、右眼も視力が0.4に低下し、単性緑内障を併発した。昭和六三年四月一〇日ころ、原告の症状は固定し、左眼の視力は0.1、右眼の視力は0.6となった。原告は、不同視のため、掛眼鏡を使用することができず、コンタクトレンズを使用しなければならないが、他方で、眼圧を下げるために常時目薬を点眼しなければならないので、その使用ができない状態にある。したがって、原告は裸眼で生活せざるを得ないから、裸眼視力をもって後遺症とすべきである。また、将来、緑内障によって失明するおそれもある。

(一) 治療費

原告は、昭和五九年から平成元年一〇月一二日までの治療費として、合計二五万六〇九〇円を支払った。

(二) 逸失利益

原告の後遺症は九級に該当するから、労働能力喪失率三五パーセント、新ホフマン係数23.2307(就労可能年数は二二歳から六七歳までの四五年間)、男子労働者年平均賃金四四二万五八〇〇円をもとにして逸失利益を計算すると、三五九八万五〇五一円となる。

(三) 慰謝料

原告は本件事故当日から、症状固定の昭和六三年四月一〇日ころまで約八年九か月間通院したが、結局、前記の後遺症が残った。

慰謝料は、通院分として二九〇万円、後遺症分として五八〇万円の合計八七〇万円が相当である。

(四) 損害の填補

原告は、平成元年八月、日本学校健康会から、九級の後遺症に当たるとして、見舞金二〇〇万円の支払を受けた。

(五) 弁護士費用 四二九万円

6  よって、原告は、被告に対し、国家賠償法一条ないしは債務不履行に基づき、本件事故による損害賠償として、四九二三万一一四一円の内金三六五七万五九八六円及びこれに対する本件事故の翌日である昭和五四年七月二四日から支払済みに至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1の事実は認める。

2  請求原因2の事実は認める。

3  請求原因3の事実は否認ないし争う。

藤井教諭らに過失はなかった。

(一) 審判が着用するのに必要とされる数以上のマスクを備えておくべき注意義務はない。

(二) 洛南中学校野球部の活動において、審判を付けるのはレギュラーバッティングと試合のときである。試合には、公式試合、練習試合、紅白試合とがある。公式試合には大人の審判が付いたが、その他の試合及びレギュラーバッティングのときには主として二年生が審判をした。いずれのときにも、審判は必ずマスクを着用していた。藤井教諭らは、審判のマスク着用が部員の常識になっていたし、また、これまで審判がマスクを着用しなかったために事故が発生したこともなかったので、試合等で審判がマスクを着用しているところを見せたりしたほかは、ことさら審判をする部員に対してマスク着用を指示したことはなかった。このように、審判をする部員がマスクを着用しないことはなかったから、藤井教諭らにとって、すでに一年以上部員として活動してきた原告が紅白戦において審判をするに際し、マスクを着用しないこと、その結果、本件のごとき事故の発生する危険性を具体的に予見することはできなかったというべきである。

したがって、藤井教諭らには、平素から、審判のマスク着用について指導したり、本件当日紅白戦に立ち会って監視指導すべき義務はなかったものである。

4  請求原因4(一)の事実の内、藤井教諭らが所論の公務員であることは認め、その余は否認ないし争う。

同4(二)の事実は否認ないし争う。

5  請求原因5の事実の内、冒頭部分の後遺症、(一)(五)は知らず、(二)(三)は争い、(四)は日本体育・学校健康センターから九級の障害見舞金として二〇〇万円が支給された限度で認める。

所論の後遺症は原告の素因に基づくものであり、原告の本件事故による負傷との間に因果関係はなく、また、後遺症の内視力の低下については、矯正が可能である。

三  抗弁

1  過失相殺

本件事故は、原告がマスクの着用さえしていれば回避することができたはずであるところ、審判がマスクを着用すべきことは常識であり、また、容易になし得ることであるから、これを怠った原告にも、本件事故発生について相当大きな過失がある。したがって、損害の算定に当たり、過失相殺がなされるべきである。

2  消滅時効

原告ないしはその法定代理人である親権者は、本件事故当時から、本件事故が公立中学校の教諭である藤井教諭らの過失により発生したものであり、したがって、被告が加害者であって、これに対して損害賠償請求できることを知っていたうえ、左前房出血の傷害を負ったことにより生じたという両眼の視力低下と緑内障についても、その発生を予見し得たから、国家賠償法一条に基づく本件損害賠償請求権は、本件事故日の翌日である昭和五四年七月二四日から起算して三年が経過した昭和五七年七月二三日をもって、時効により消滅した。

四  抗弁に対する認否

1  抗弁1の事実は否認ないし争う。

本件事故は藤井教諭らの一方的過失によって発生したものであり、原告にはなんらの過失もない。

2  抗弁2の事実は否認ないし争う。

原告の症状が固定したのは昭和六三年四月一〇日であり、それまでは後遺症の有無、程度が不明であった。

第三  証拠関係<省略>

理由

一本件事故の発生と藤井教諭らの過失

1  請求原因1、2の事実については当事者間に争いがない。

2  右争いのない事実に、<書証番号略>、証人久世勝浩、同藤井満(後記措信しない部分を除く。)及び同永田光雄の各証言、原告本人尋問の結果並びに弁論の全趣旨を総合すると、次の事実を認めることができる。

(一)  原告は、小学生のころから野球に親しみ、昭和五三年四月に京都市立洛南中学校に入学した後は軟式野球部に入部し、昭和五四年七月二三日まで、二年生部員としてまじめにクラブ活動に参加していた。

(二)  同校野球部の指導、監督を担当していたのは、同校の教員であった田淵教諭と藤井教諭であったが、主として、藤井教諭が担当していた。

(三)  藤井教諭は、会議や出張等の用事のあるとき以外は必ず野球部の練習に立ち会い、立ち会えないときには部員の中から選んであったキャプテンを通じて、練習の指示を出していた。

藤井教諭は、平素から、安全のための注意としては、部員に対し、人がいるところでバットを振ってはいけないし、振っている人に近づいてはいけないこと、ボールを投げるときは相手に声を掛けなくてはいけないことなどを話していたが、審判をするときにマスクを着用するようにとの注意を与えたことは一度もなく、また、田淵教諭も同様であった。藤井教諭は、本件事故後、初めて、部員に対し、審判やキャッチャーをするときにはマスクを着用するようにとの注意をした。

(四)  普段の練習では、レギュラーバッティングのときを除いては、審判をつけることは少なかったが、公式試合はもとより、他校との練習試合においても、OBなどが審判を務め、また、部内で行う紅白戦でも部員が交代で審判を務めた。公式試合や他校との練習試合は、洛南中学校で行われることが多く、部員はその様子を見学していた。これらの試合においては、審判は必ずマスクを着用していたが、紅白戦の場合は、着用しないこともあり、特に、夏場の暑いときには着用しないことが多かった。

なお、試合中、ファールチップ等のボールが審判に当たることは、そう珍しいことではなかった。

(五)  藤井教諭は、昭和五四年七月二三日、夏期選手権大会のため三年生を連れて岡崎グランドに詰めていた。同教諭は、キャプテンの永田光雄に対し部員だけで紅白戦を行うようにとの指示を出しておいた。そのように指示したのは、二年生が出場する予定の全京都少年野球選手権大会が近づいていたので、その練習をする必要があり、また、一個のボールに集中してやれる試合の方が普段の練習よりも安全であると考えたためである。

もっとも、二年生は、それまで、紅白戦の経験は一度しかなかった。

(六)  原告は、同日、洛南中学校運動場において、野球部のクラブ活動に参加し、午前一〇時五分ころ、紅白戦の審判を務めていたが、部員の小原裕史が打者として打ったファールチップのボールが、自己の左眼に当たり、その結果、左前房出血の傷害を負った。そのとき、原告はマスク等の防護器具をつけずに審判をしていた。

なお、当時、同部には、使用可能なマスクが三、四個あった。当日、三年生が一個持ち出しており、他の一個は紅白戦のキャッチャーが使用するものであったから、審判用のマスクとして少なくとも一個が残っていた。

右認定に反する証人藤井の証言中当該部分は採用できない。

3  右認定事実によれば、本件当日、審判用として、少なくとも一個のマスクが残っていたことが明らかであるところ、紅白戦の審判は一人で足り、これを部員が交代で務めるとしても、マスクを順番に使用すれば済むことであるから、本件全証拠によるも、そのような使用形態をとることが困難な事情があったとは認められない本件においては、審判のために必要数以上の数のマスクを備えておくべき注意義務があったという原告の主張は、その余を検討するまでもなく、失当である。

また、右認定事実によれば、二年生部員らだけによる紅白戦は本件当日が二度目であり、試合形式による練習の経験に乏しかったことは否めないが、そうであっても、これが特に危険な練習であったとはいえないし、藤井教諭がキャプテン永田に右練習の指示をするに当たり、何らかの事故の発生することを危惧すべき特段の事情があったことも証拠上窺うことができないから、藤井教諭らが二年生部員らだけで紅白戦をするように指示したこと自体については、注意義務違反に問われる理由はないというべきである。

4 ところで、審判は、バッター及びキャッチャーの後方至近距離に位置しているうえ、バッティングによってボールの進行経路が急激に変化することから、ボールがファールチップとなって飛来した場合、これを避けることが困難であり、特に、中学二年ともなれば、野球部員であるピッチャーの投げるボールは相当速くなるから、そのファールチップのボールを避けることがいっそう困難となることは経験則上明らかである。したがって、審判をする者が、マスクを着用しないことは、その生命身体にとって極めて危険であるから、野球部の指導監督を担当する教員は、平素から、部員に対し、審判をする場合の危険性について周知徹底するとともに、必ずマスクを着用することを指示するなどして指導する注意義務があるというべきである。

しかるに、右認定事実によれば、藤井教諭らは、これまで、部員に対して、審判をする場合のマスク着用について指導したことはいっさいなかったのであるから、同教諭らに、右注意義務を怠った過失があったことは明らかである。

これに対し、被告は、審判がマスクを着用することは常識であるうえ、洛南中学校野球部でも、部員が審判をするときは必ずマスクを着用していたから、藤井教諭らにおいて、部員がマスクを着用しないで審判を務め、その結果事故に遭遇することを予見することは到底不可能であり、したがって、部員に対して右指導をすべき注意義務はないし、また、仮にあるとしても右注意義務を怠った過失はない旨主張する。

しかしながら、証人藤井の証言によれば、藤井教諭は、本件当時、野球について、選手ないしは指導者として相当年数の経験を有しており、ファールチップのボール等が審判に当たることが珍しいことではなく、したがって、マスクを着用しないことの危険性について十分これを知っていたことが窺えるうえ、前認定のとおり、洛南中学校野球部員が紅白戦等で審判をする際マスクを着用しないことが結構あり、しかも、藤井教諭は用事があるとき以外は必ず練習に立ち会っていたのであるから、このような事情を知る機会があったことを否定できず、また、中学生程度の年齢の部員が、マスクを着用することなしに審判を務めることの危険性を十分認識し、これを回避するのに適切な行動を常にとるものと期待することは難しいというべきであるから、被告の所論はいずれも失当というべきである。

二被告の責任

1  請求原因1の事実及び同4(一)の事実の内藤井教諭らの身分関係については、当事者間に争いがない。

2  ところで、洛南中学校は京都市によって設置された公立校であるから、原告は、同校に就学する際、被告との間で学校教育を受けることを目的とした在学契約を締結したものとはいえず、原告と被告との関係は学校教育法等の関係法令に則って形成された公法上の関係というべきである。そして、被告は、右関係に基づき、学校長及びその他の教職員をして、原告に対して学校教育を施す義務を負い、他方、原告は同校においてその教育を受けるという関係にあるから、被告は、その付随義務として、信義則上、クラブ活動を含む学校教育の過程において、原告の生命身体に危険が生じないようにすべき安全配慮義務を負っていると解するのが相当である。しかして、本件における安全配慮義務の具体的内容については、前記のとおりである。なお、原告は、被告の安全配慮義務の根拠として、原告被告間の在学契約を主張するが、それは、原告被告間の実質関係が私学における在学契約と同様であることを強調する点にあると解されるのであり、その真意は右判示したところと変わらないと認めることができる。

そして、右争いのない事実によれば、藤井教諭らは被告の実施する学校教育に携わる公務員であり、その履行補助者というべきところ、前記のとおり、その職務を行うにあたり、過失があったから、結局、被告には安全配慮義務を怠った債務不履行があるというべきである。

したがって、被告には、原告の被った損害を賠償する責任がある。

三損害

1  <書証番号略>、証人吉川太刀夫の証言及び原告本人尋問の結果によれば、次の事実を認めることができる。

(一)  原告は、左前房出血のため、京都第一日赤病院に入院し、退院後は、昭和五四年八月ころから自宅近くの吉川眼科病院に通院するようになり、今日に至っている。

(二)  原告は、受傷後まもなくから、左眼の視力が低下したばかりか続発性緑内障になり、また、その後右眼も視力が低下したうえ単性の緑内障を併発した。昭和六三年四月一〇日ころ、原告の症状は固定したとされ、左眼の視力は0.1(矯正視力1.2)、右眼の視力は0.6(矯正視力1.5)と診断されたが、その後も若干の変動を繰り返し、平成元年春以降は、左眼の視力は0.04(矯正視力0.5ないし1.5)、右眼の視力は0.3(矯正視力1.0ないし1.5)で、ほぼ安定している。

ところで、右各証拠に<書証番号略>を総合すれば、左眼の視力低下及び続発性緑内障が、本件事故による左眼の外傷に起因するものであることは明らかであり、右認定を覆すに足りる的確な証拠はない。

しかしながら、右眼の視力低下及び単性緑内障との因果関係については、本件全証拠によっても、これを認めるに足りない。<書証番号略>及び証人吉川太刀夫の証言は、右眼の単性緑内障について、左眼の外傷が誘因の一つとなったとの可能性を否定できないとの趣旨に過ぎないうえ、かえって、原告の素因による可能性も示唆していること、また、<書証番号略>によれば、右眼の視力が常時1.0を下回るようになったのは昭和六一年四月以降であって、本件事故から七年近く経過してからであり、また、吉川医師が右眼について単性緑内障の疑いを抱いたのが昭和五五年三月ころのことであり、これまた、本件事故から半年以上経過してからであったことが認められるのであって、これらに照らすと、<書証番号略>及び証人吉川太刀夫の証言も右因果関係を肯定するに足りる証拠ということはできない。

なお、前記のとおり、原告の両眼については、日常生活に支障のない程度にまで視力を矯正することができるが、<書証番号略>、証人吉川太刀夫の証言及び原告本人尋問の結果によれば、両眼の屈折異常の差が約2ジオプター以上あって、不同視の状態を生じており、それ故、常時掛眼鏡で視力矯正することはできないこと、また、コンタクトレンズの使用についても、その使用自体眼圧を高めるおそれがあって適当でないうえ、原告は両眼の眼圧を下げるために、一日に五種類の点眼薬を六回に分けて使用しなければならないから、コンタクトレンズの使用が事実上困難な状態にあって、これによる視力矯正も難しいことを認めることができる。したがって、原告としては、裸眼で日常生活を送らざるを得ないのであるから、その状態を後遺症と認定するのが相当である。

2  請求原因5(一)(治療費)について

<書証番号略>によれば、原告は、治療費として、昭和五九年から症状が固定した昭和六三年四月一〇日までの間合計一六万〇一〇〇円を支払ったことを認めることができる。

なお、後記のとおり、原告は、緑内障による失明等の事態を避けるため、生涯服薬と点眼薬の使用を続ける必要があり、したがって、症状固定後の治療費も因果関係のある損害というべきである。<書証番号略>によれば、症状固定日から原告の求める平成元年一〇月一二日までの治療費は九万五九九〇円と認めることができる。

結局、治療費の合計は二五万六〇九〇円である。

3  請求原因5(二)(逸失利益)について

前認定のとおり、原告の本件事故による後遺症は、左眼の視力が0.1まで低下したこと及び続発性緑内障に罹患したことであり、これは、日本体育・学校健康センター法施行規則に定められた後遺障害の等級でいうと、少なくとも一〇級に該当するものである。

そのうえ、<書証番号略>、証人吉川太刀夫の証言及び原告本人尋問の結果によれば、原告は、高校卒業後就職したものの、ストレスがたまり、眼圧も上がってきたので、一か月足らずの内に退職し、以後はなるべく目を使わないですむアルバイトを週三回程度してきたにすぎないこと、緑内障による失明等の事態を避けるために、毎日服薬と五種類の点眼薬を六回使用する必要があり、今も月二回吉川眼科病院に通院して眼圧測定を受け薬をもらっていること、手術による完治は期待できず、生涯服薬と点眼薬の使用を続ける必要があること、また、視力の低下は外傷性の高度近視であって改善することが期待できないこと、就職は可能であるものの、目を酷使したり暗いところでの作業はできないため、就職の機会や職種が相当制限されることを認めることができる。

以上の事実に照らすと、原告の労働能力喪失率を三〇パーセント、就労可能年数を症状固定時の二二歳から六七歳までの四五年間とし、中間利息の控除をライプニッツ方式で行うのが相当というべきであるから、症状が固定した昭和六三年度の賃金センサスの男子高校卒の全年齢平均賃金四三四万一四〇〇円を基準にして原告の逸失利益を計算すると、結局、二三一四万九二一三円となる。

(計算式)

434万1400円×0.3×17.7740

=2314万9213円

4  請求原因5(三)(慰謝料)について

前認定事実に証人吉川太刀夫の証言、原告本人尋問の結果を総合すると、原告は本件事故後約三週間入院し、そして、症状固定の昭和六三年四月一〇日まで約八年九ヵ月間通院したが、結局、後遺症として、左眼視力が0.1になり、続発性緑内障にも罹患し、将来失明するおそれも否定できないことが明らかである。これらに、前認定の本件事故の態様、傷害の部位、程度、治療の内容、後遺症のため就職に相当の制限があることやその他本件に現れた諸般の事情を総合すると、本件事故によって原告が受けた精神的苦痛を慰謝するには、入通院分として一五〇万円、後遺症分として三五〇万円の合計五〇〇万円が相当というべきである。

四過失相殺

原告本人尋問の結果及び弁論の全趣旨によれば、原告は、本件当時、心身ともに健康な中学二年生であったから、自己の生命身体に対する危険を回避するために必要な判断能力及び行動能力を備えていたものといえるうえ、前認定のとおり、小学生のころから野球に親しみ、中学一年生のときから野球部に所属してクラブ活動を続け、その間多数の公式試合や対外練習試合等を見学するという経験を有したことからみて、マスクを着用することなく審判を務めることの危険性を十分認識していたものと推認することができる。そして、前認定のとおり、使用できるマスクも存在しており、その気さえあればこれを着用することは容易な状況にあったことが明らかである。しかるに、原告は、マスクを着用しないで審判を務めたのであるから、原告にも本件事故を招来した過失があったというべきである。

そうすると、部員の中にはマスクを着用しないで審判を務める者がおり、それを相互に注意するということもなかったし、藤井教諭らから注意を受けることも全くなかったことなどを考慮しても、本件損害賠償額を算定するに当たっては、少なくとも四割の過失相殺をするのが相当である。

そして、右割合で、過失相殺すると、本件損害賠償額は一七〇四万三一八二円となる。

五損害の填補

請求原因5(四)の事実については、日本体育・学校健康センターから九級の傷害見舞金として二〇〇万円支給されたことは当事者間に争いがない。したがって、原告の損害額は一五〇四万三一八二円となる。

六弁護士費用

原告が本件訴訟の提起、追行を原告訴訟代理人弁護士に委任したことは記録上明らかであるところ、認容すべき損害額に加えて、本件事案の性質、規模、難易、審理の経過、被告の対応等本件証拠上窺える諸事情を総合勘案すると、弁護士費用一五〇万円が本件事故と相当因果関係のある損害と認められる。

七消滅時効

被告は、国家賠償法一条に基づく損害賠償請求権については、時効によって消滅したと主張するが、債務不履行に基づく損害賠償請求権については、消滅時効の抗弁を提出しない。当裁判所は、後者の請求権について、一部理由があるとするものであるから、被告の右主張については判断を要しない。

八結論

以上の次第であって、結局、原告の被告に対する本訴請求は、本件債務不履行による損害賠償として、一六五四万三一八二円及び被告に対してその請求をしたことが明らかな訴状送達の日の翌日である平成元年一一月二三日から支払済みに至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める限度で理由があるからこれを認容し、その余は理由がないからこれを棄却し、訴訟費用の負担につき、民事訴訟法八九条、九二条本文を適用して、主文のとおり判決する。

なお、仮執行宣言については、相当でないからこれを付さないこととする。

(裁判官播磨俊和)

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